人口300名の集落で暮らす年商500万円の専業主婦が書くブログ(仮)

年商500万円の専業主婦が自由気ままに書いてるブログです

「教育」「学校」に執着し、そのワードに取り憑かれていた自分

さかのぼるは16年前、私が8歳の時にテレビで目にした衝撃的な映像。

銃を手に戦争に出かける少し年上ぐらいの男の子。

まだ子供の私は、「子供=学校に行く」だったので、この子たちが学校に行けたら戦争に行かなくていいはず!と結論付け、「学校を作るんだ!」と決めてしまった。

 

それからというものの、「国際協力」「ボランティア」「教育」「学校」というワードが引っかかり、小学生のころから色々リサーチ。その中で小学校4年生のころ、地球の自然環境が破壊されていることに心を痛め、世界平和と自然が人生のキーワードに。

 

それからの思考の流れは、

中学校:NGONPOのように寄付金で学校を作ろう!

高校:いや、寄付金だと面倒くさいから自分でビジネスしてそのお金で学校運営しよう、子供たちと両親が働ける場があったらベストかもしれない。ゲストハウスと学校を併設するといいかも!

大学:英語力を上げながら、自分でビジネスが出来るようになるために勉強しよう!結局大学というものが合わずに中退、その後も、「自分でビジネスをして学校作る」を目標に、まずはそれを沖縄でやってみようと、英会話スクール開校しようとしたり、シェアハウスに住んだり、Airbnbをやったり、国際交流イベントを主催したりなど活動していたものの、

約2年前、去年の1月ごろ、ニートになりたいと思うぐらい疲れてしまった。そして、実際にニートになった。そのころから、子供たちが戦争に行くという事態はなくなって欲しいし、そのために学校を作りたいけど、学校以外にも手段はあるかも?そういう想いが芽生えてきていた。

こういう状態に気づいていながらも、「学校を作る」が手放せないで、執着してしまっていた。

 

その状態の中、高校生ぐらいの時から「憧れ」だった「自給自足」にチャレンジしてみようを意を決したのが去年の9月。人口100名の集落に移住。めちゃくちゃ幸せ。今年の1月からは畑も借りることができて、好きなことをやっているはずなのだが、うまくいかないのだ!!!!!笑

なぜだーなぜだーなぜだー。1年間、問い続けた。1年だよ?長すぎ。笑

23歳途中から24歳途中まで、1年間ずーっと問い続けて、出た答え、なんだと思います?

 

【学校を作ることに執着しすぎ。】

 

これだけ。笑
ーーーーー
学校を作る
ーーーーー
この、箱の中で全てを考えようとしていたから、何もうまくいかなかったのです。呪文のように、「学校作らなきゃ、学校作らなきゃ、…、…、」

 

手放してみようじゃないか、手放したらどうなるんだろう、大丈夫なのかな…え、いいのかな?ん〜、えいっ!と、手放してみると。



さいこーーーーーーーーー!



無罪なのに終身刑って言い渡されて、やっと無罪判決が言い渡された囚人のような、感覚と同時に、生まれて初めて自分の翼を使って大空に羽ばたく、雛鳥のような気分でした。笑

自由の状態で、思考を巡らせていくと、遊んで子供時代を過ごしていた自分はとても楽しい思い出があって、遊べずに戦争に行かされている子供たちを見て、凄く悲しかった。一緒に遊びたかった。だから、どうにかしてあげたかった。

 

そうだったのかー!「学校作りたい」の背景には、悲しいという感情があったのか。一緒に遊びたかったのか。それを知るだけで、解放される。

 

小学生からの色々な調査と経験で、自分の毎日の買い物が、自分の暮らし方が、少なからず、そういう「自然破壊」や「戦争」に繋がっていることが分かってきている。それもあり、自給自足への憧れと、夢は大きく膨らんでいく一方で、「学校作らなきゃ」に取り憑かれていた。

 

でも、やりたくなければ、学校は作らなくていい。

 

自給自足がしたいのであれば、それをやればいいんだ、って、単純すぎることに、時間をかけ続けていました。笑

 

あー、すっきりした!明日から、というか、今日から、思いっきり、思う存分、ゆっくりゆっくり、気づかれずに、自給自足を極めていこうと思います!

 

だから、迷っていた“発信”も、別に「教育」とか「学校」とか「社会性」とかそういうフィルター通さずに、自分が好きなことを発信できる!

 

ことに、ただただ喜びを感じているのです。笑

 

化粧水を使ったりオイル保湿をしたり、物理的に自分のケアし始めて約2ヶ月、こんなにいい変化が待っているとは思いませんでした!

 

ケアって大事や〜